実は今回、新たな発見がありました。それは最初の記事でご紹介した「降松神社の上宮と中宮は磁北線(7°の偏差)上に並ぶ」というくだりなのですが、改めて地図を確認すると、なんとこの磁北線を南に延ばすと茶臼山山頂にピタリと合うのです。茶臼山は、降松神社(当時は北辰妙見社)が鷲頭山に移る前にあった場所です。古くは高鹿垣(たかしがき)と呼ばれていた場所です。
発見した時は震えがきました。妙見社が茶臼山から鷲頭山に移されたのが1407年前の609年(推古天皇17年)ですから、コンパス(方位磁針)はまだ発明されていません。その原型となる指南魚が中国にはあったようですが、日本に伝来してきた時期は不明です。隣接した山がピタリ磁北線上に並ぶことは極めてまれであり、それを知り、そのライン上に2つの社を建てるというのは凄いことです。
そこで思い出したのが、妙見というキーワード。妙見信仰というのは非常に複雑な信仰で、元は仏教の菩薩信仰と道教の北極星信仰(北極星の別名は北辰)が習合したものです。日本においてはさらに神道とも習合して、さらに、さらに明治維新の時に神仏分離令で神道と仏教が分かれています。
下松市中市にある妙見宮鷲頭寺は、妙見社の神宮寺が神仏分離令で分かれ出たお寺です。だから今も、四神の北を司る玄武(亀と蛇の姿)にちなんで亀池があるのです。
常に北を示す北辰(北極星)が信仰の対象ですから、方位を知る知識と技術は信仰の重要な要素だったはずです。1407年前の下松にそうした信仰および文化があったことになります。下松に現在残っているその痕跡を「下松北辰ライン」と呼ぶことにしてはどうでしょう。ちなみに妙見は、よく見える、よく物事が見えるということです。正月早々、ありがたい言葉を再確認させてもらいました。
で、初詣のレポートに戻ります。
そんなこんなで、降松神社中宮で休憩しながら何枚も撮影しました。
中宮の拝殿を横から見たところです。このころようやく夜が明けてきました。
反対側の横からの撮影です。向かって左が拝殿の裏側。そして右が幣殿(へいでん)です。神社建築の様式は、拝殿、弊殿、本殿と並びます。
これが降松神社中宮の本殿です。降松神社の中宮は1608年(慶長13年)に火災にあっています。中宮・上宮にお参りする方は火気にご注意ください。鷲頭山の麓に消防署はできましたが、ここまでこれませんので。貴重な文化遺産は私たちみんなで守っていきましょう。
中宮の裏手から窪地に降り、低い鳥居をくぐります。くぐる高さは140cmぐらいです。まさに神域中の神域に入ることになります。明るくなってはいますが木立に覆われた幻想的な空間です。
そして崖をよじ登って、ついに降松神社の上宮に到着です。初日の出はもうすぐです。その頃には、十数名の参拝者も集まってこられました。
降松神社上宮は、四方および上空を木々が囲み、まるで樹木のドームで守られているかのようです。その木々の間から黄金の光がこぼれてくるようでした。
上の写真は、降松神社上宮に真横から差し込んだ初日です。わずか数分間だけこの現象が見られました。
帰る途中、随身門を抜けてふと振り返ると、まばゆい太陽が門を通して輝いていました。よいお正月になりました。
※後日談があります!!歴史に興味があったらぜひ読んでください。